実家に帰ると、車で10分くらいの嵐山渓谷周辺を時々ひとりで散歩する。川沿いを歩いていると、実家で飼っていた愛犬「ラブ」のことを思い出す。
父が毎日、朝夕の二回、ラブを散歩に連れて行った。気が向けば僕も時々連れて行った。他の犬と同様、ラブも散歩が大好きで、散歩に行く気配を感じると大喜びしてジャンプを繰り返した。逆に、僕が家にいるのに散歩に行こうとしないと、僕が行くまで犬小屋近くの戸袋を前足でガリガリ音を立て、散歩に連れてけと催促した。
僕は都幾川沿いの土手が結構好きで、ラブと一緒にそこまでよく歩いた。行って帰ってくるのに、だいたい1~2時間くらいだったと思う。

夏場になると、いくら散歩が好きとはいえ、暑さのせいでラブは辛そうに呼吸を荒くしていた。そして、川が見えると僕が持つリードを振り払わんばかりに猛然とダッシュして川へ飛び込んで行き、川の浅瀬を嬉しそうに、バッシャ、バッシャと走り回った。特に暑かった日は、いくら呼んでも、なかなか川からあがって来なくて困ったものだった。
一度、台風が過ぎ去った後の散歩で、川が増水していたにも関わらず、ラブは川に飛び込んで行った。行くなと言っても、僕の言うことなんて聞きやしなかった。みるみるラブは濁流に流されていき、これはヤバいと思った。でも、ラブは濁流に飲み込まれる前に、器用に泳いで岸にたどり着いた。
この時ばかりは、さすがにラブも危険を感じたようで僕のところへすぐに戻って来た。気まずそうな顔をしながら歩いてくるラブの様子がなんとも可笑しかったのを今でも覚えている。ラブの頭を撫でると、ラブはホッとしたような表情を見せ、ぴったり僕と並んで歩いて帰った。この時のラブは、僕の存在を確認するかのように身体を僕の足に擦り付けながら歩いていた。
この日以来、ラブは気を付けて川に飛び込むようになった気がする。
大好きだったラブが死んでしまってから、十年以上がたつ。
ラブが死んでしまった知らせを受けたとき、明里(あかり)はまだ保育園児だった。保育園へ迎えに行った帰り道、そのことを明里に話すと、明里は泣きじゃくった。ラブの死に顔を目の前にしていたわけではなかったので、明里が泣く様子を少し意外に思いながら、鼻の奥が痛くなった。ラブにもう会えないと思ったからなのか、それとも死が怖いと感じたからなのか、明里には聞いていない。
僕もラブに会えなくなってとても寂しく感じる一方で、ラブと一緒で楽しかったこともたくさん思い出すことができる。

明里が小さかった頃の思い出にいてくれて、ラブにはとても感謝している。
若林泰弘