明里が中学2年の夏休みになってすぐの日曜日。秩父へ行きたいと言うので、秩父のどこがいいかと検索して浮上した「聖神社」。いつもなら家でまったりしている妻が「金運が上がるかも」という淡い期待を抱いてついて来た。

聖神社は「和同開珎」ゆかりの神社であることから「銭神様」とも呼ばれているらしい。なかなか庶民的な親近感のある名前の神様だ。

聖神社の近くには、日本で最初に和銅が発見されたことで知られる「和銅遺跡」がある。

以前、読売新聞夕刊の「日本史アップデート」という企画で「日本最古のお金」が取り上げられた。その記事には次のように記されていた。
【従来説】708年、奈良・藤原京の政府は武蔵国から銅が献上されたことを祝い、元号を和銅と定め、日本最古の貨幣である和同開珎を造った。これを手始めに10世紀半ば頃の乾元大宝まで12種類に及んだ古代の銅銭を「皇朝十二銭」と総称する。
【最新説】奈良・明日香での発掘成果から、天武天皇の政府が680年代、日本最古の貨幣である富本銭を発行したことが明らかになった。富本銭は飛鳥の宮都や続く藤原京などで使われた。古代の銭貨は従来の見方から一つ増え、13種類になった。
2021年4月20日・読売新聞より引用

この記事を読み、和同開珎の「日本最古」という価値が危ぶまれると感じたが、かつて地元でも話題になったみたいである。
「鋳造はあちら(富本銭)が先かも知れないが、続日本紀には、和銅元年に初めて銀銭、銅銭を行うとあり、正式な通貨としては和同開珎が最初だと思う」「歴史的価値は変わらないので、わが国初の看板を降ろすつもりは毛頭ない」
1999年1月21日・朝日新聞より引用

一般的な見解はどうなっているのかWikipediaを確認してみた。
富本銭(ふほんせん)は、683年(天武天皇12年)頃に日本でつくられたと推定される銭貨である。鋳造年代は708年(和銅元年)に発行された和同開珎より古いとされる。この貨幣が実際に流通したのか、厭勝銭(ようしょうせん:まじない用に使われる銭)として使われたに留まったかについては学説が分かれている。
Wikipediaより引用
和同開珎(わどうかいほう、わどうかいちん)は、708年8月29日(和銅元年8月10日)に、日本で鋳造・発行された銭貨である。日本で最初の流通貨幣と言われる。皇朝十二銭の1番目にあたる。

僕自身は秩父と縁があるので、和同開珎が最初の正式な流通貨幣だといいと思う。

明里は、日本史などどうでもよさそうに見える。その後の妻も、金運が上がった様子は見られない。
若林泰弘