寿福寺(じゅふくじ)は、鎌倉市扇ヶ谷にある臨済宗建長寺派の寺院である。鎌倉五山第三位の寺院である。開基(創立者)は北条政子、開山(初代住職)は栄西である。境内は「寿福寺境内」として1966年(昭和41年)3月22日、国の史跡に指定された。

Wikipediaより抜粋
2022年10月2日 撮影(以下の写真も同日)

「浄智寺」の次に「寿福寺」へ向かったのだが、鶴岡八幡宮から「建長寺」を経て「円覚寺」へ辿った道を戻る形となった。

 鶴岡八幡宮から建長寺へ向かった時刻は、日曜日の午前8時半頃ということでまだ道路も空いており、たまに通る車は結構飛ばしていた。道路幅員が狭い割に、何をそんなに急いでいるのかと思うくらいのスピードだった。

その理由が、お昼頃歩いてみてわかる気がした。鎌倉駅と北鎌倉駅を結ぶ道路は人気エリアということもあってか、昼間はとても渋滞していた。そのため、「道路が混まないうちに」と朝のドライバーは無意識にアクセルを踏み込んでしまうのかもしれない。目的地にもよると思うが、鎌倉市内の観光スポットは車での移動は避けた方が良さそうだ。

 鶴岡八幡宮あたりまで戻ってきたところで右折して、しばらく歩いた所に「寿福寺」はあった。寿福寺を検索してみるとWikipediaに次のような説明がある。

「もともと現在の寿福寺のある付近は、奥州に向かう源頼義が勝利を祈願したといわれる源氏山を背にした、亀ヶ谷と呼ばれる源氏家父祖伝来の地であり、頼朝の父・源義朝の旧邸もこの地にあった。1180年(治承4年)初めて鎌倉入りした頼朝は、ここに館(幕府)を構えようとしたが、すでに岡崎義実が堂宇を建て義朝の菩提を弔っていたことや、土地が狭かったため、当初の計画を変更したといういきさつがある。」

このエピソードに該当するシーンが「鎌倉殿の13人」にもあった。源頼朝を演じた大泉洋の顔が浮かぶ。

中門から内側の境内を覗く

 寿福寺は、2022年10月時点では「総門から中門までの参道と裏山の墓地は公開されているが、中門から内側の境内は一般公開されていない」。拝観受付がなく仏殿も参拝することはできないが、総門や参道の雰囲気を写真に収めるだけでもいいと思った。

「境内裏手の墓地には、陸奥宗光高浜虚子星野立子大佛次郎などの墓があり、さらにその奥のやぐら(鎌倉地方特有の横穴式墓所)には、北条政子と源実朝の墓と伝わる五輪塔がある。」

Wikipediaより

 やはり、お寺は一日の早い時間に拝観するに限る。日が傾いてから墓地を散策するのは足がすくみそうだ。そんなことを考えながら、鎌倉五山の最終目的地である「浄妙寺」へ向かった。

若林泰弘

投稿者 akari