2022年10月2日(日)
10:10頃、円覚寺に着く。入口に「十月二・三日 開山忌」と掲示されていた。円覚寺HPによると「開山無学祖元禅師のご命日である九月三日から一月遅れの十月に法要を勤めています」とのこと。

円覚寺(えんがくじ)は鎌倉市山ノ内にある寺院。臨済宗円覚寺派の大本山であり、鎌倉五山第二位に列せられる。寺名は「えんがくじ」と濁音で読むのが正式である。
Wikipediaより抜粋

恭しく総門をくぐり、受付で拝観料500円を納める。

円覚寺の山門も建長寺の山門と比べて負けず劣らず立派である。

不躾ながら仏殿への参拝もそこそこに、日本史で学んでわずかに記憶に残っている建造物のひとつである「舎利殿」へと急いだ。調べると「舎利殿は神奈川県唯一の国宝建造物で、境内の奥に位置する塔頭(たっちゅう)・正続院の中にある」ようだ。

ところが、現地に着いて初めて知ったのだが、舎利殿は通常、非公開であるとのこと。正月の三が日、5月の連休日、11月3日前後に外観のみが公開されるらしい。事前勉強不足だった。

自分の中では、今日のハイライトのひとつだったので結構がっかりしたが、気を取り直して拝観を続けた。

毎度、Wikipediaからの情報によると、円覚寺は
鎌倉時代の弘安5年(1282年)に第8代執権北条時宗が元寇の戦没者追悼のため中国僧の無学祖元を招いて創建した。北条得宗の祈祷寺となるなど、鎌倉時代を通じて北条氏に保護された。
とある。

日本史に名を残す「北条時宗」が「元寇」の戦没者追悼のために創建し、日本の武士だけでなく元軍(モンゴル・高麗等)の戦士も分け隔てなく供養されているお寺というだけあり、後世の人たちが格を重んじてきた雰囲気がある。

円覚寺は鎌倉五山第二位の寺格とされているが、臨済宗円覚寺派の大本山としてのプライドも感じられる。国宝や重要文化財とされる数々の建造物などは、第一位の建長寺のものと比べても甲乙つけ難いように思える。

室町時代に足利義満が「京都五山」とあわせて「鎌倉五山」を改定し、その時に決まった寺格が現代まで続いているそうだ。現代人の感覚では、お寺に順位付けする必要などあるのか疑問に思うところだが、中世では幕府と寺院は密接な関係にあり、幕府の政略上、寺格順位を定めた方が好都合だった、と言われている。

人が格付けをしたがるのは今も昔も変わらないみたいだ。それはともかく、お寺同士が張り合いながら、後世に国宝や文化財となる建造物などがつくられ、仏教とともに今日まで残されたのだろうと思った。

若林泰弘