明里が通った保育園は、季節に応じて子供たちが自然と触れ合う機会を積極的に用意してくれた。初夏には、父親だけが子供と一緒に参加するハイキングがあった。

子供と接する時間が少なくなりがちな父親のストレスを解消するとともに、父親だけが参加することで、たまにはお母さんに一日家でゆっくりしてもらおうという趣旨の企画である。

母親たちからは好評だったようで、必然的にその参加要件は徹底され、当日の参加者は本当に子供とその父親だけだった。一方、この保育園に通っていない子供であっても(通っている子の友達とか)、父親が同行すれば参加できるという懐の深さもあった。

官ノ倉山は標高344mと高くはないが、所々、子供の足にはキツイ傾斜地点があった。傾斜が恐かったり、疲れたりして、ぐずったりする子も見かけたが、明里は終始、ハイキングを楽しんでいた。

参加して気付いたが、引率者は園長先生と若い先生(いずれも男性)くらいで、あとは父親たちの自己責任だった。これは、多くの父親たちのボランティア活動によるところも大きい。創立50年以上の経験に基づく良い意味の放任さがこの保育園にはあった。

この保育園の方針に明里は完全にハマり、見事に野生児化した。

6ヶ月検診くらいから仲良くしていた、たいちゃんが「あかり~いくぞ。」と声をかけた。嬉々としてズボンを脱ぎ、たいちゃんについて沢の中を走る明里であった。

僕は呆れながら、その様子を見つめ、明里の将来を案じた。
こんなこともあって、明里には女子校へ通わせている。
若林泰弘