喜多院は天台宗の寺院であり、春日局(※1)や天海(※2)のゆかりの地として知られている。
(※1)徳川家光の乳母。斎藤福。「春日局」は朝廷から賜った称号。江戸城大奥の礎を築いた。
(※2)徳川家康の側近だった、天台宗の大僧正。徳川家康に江戸の地選定の助言をしたとされる。

江戸城にあった建物は川越に最も現存している。1638年(寛永15年)の川越大火で焼失した際、3代将軍徳川家光の命で江戸城の建物が移築された。客殿には徳川家光誕生の間と言われている部屋があり、家光の乳母春日局の間を含む書院、庫裏も移築されている(全て国の重要文化財)。
Wikipediaより引用

明里が三歳のときの七五三は「喜多院」へ参拝に行った。

それぞれの祖父母も一緒に参拝してくれた。

着物が苦しかったみたいで、明里は終始ぐずっていた。

三歳の明里は、おしゃれに無頓着だった。今と違って。

ふだんは保育園で泥だらけになって遊んでいたから、とても窮屈だったようだ。

一生懸命あやしてくれた祖父の影があることを明里には忘れないでいてほしい。

若林泰弘