時代は移って平成になり、槻川流域は埼玉県の水辺再生100プラン事業の下、道路から川岸に降りて散策できる遊歩道や休憩場所が整備され、親しみ易い川に向けた事業が随所に見られる。もともと小川町宿は、槻川の流れとその周辺の景観から、京都の鴨川周辺に似ていることから「小京都」と呼ばれてきた歴史がある。
この清流は小川盆地を抜けると次第に狭窄な地形となり嵐山渓谷を通り過ぎるまで続く。この狭窄地を流れるため嵐山町遠山の槻川には、永い年月をかけ川の流れの力によって流された小石が大きな岩を削り、空洞となった「遠山のおう穴」群がある。その「おう穴」は、地元の古老の話によると「子供のころ川遊びで穴に入って遊んだ」という浴槽程あり、径も深さも1.5m余りある大きさで嵐山町の天然記念物に指定されている。
遠山を過ぎると流れは小滝があるものの瀞域が多くなり大きく蛇行している。大平山の麓ではヘアピンカーブを描くように曲流して流れている嵐山渓谷がある。
槻川流域には小川町青山付近から嵐山渓谷あたりまで「緑泥石結晶片岩」(結晶片岩)が露出している場所としても知られる。これは地球の表面を覆うプレート(岩板)が露出したものといわれ、ここは全国的にも有名な「長瀞の岩畳」と比べて小規模だが、この場所の結晶片岩は、川底や両岸を覆い狭窄流となる流れまで支配すると共に、50畳はあると思われる岩畳を川岸に何ケ所も露出している。
これらの岩畳や清流に親しんでもらうため、ここの流域には一般道路から清流や岩畳の所まで降りる階段が10数ヶ所も設けられ、子供達や行楽客に親しまれている。この流域の特徴として、一般的に平地域を流れる河川では川原や砂浜を形成するのが普通であるが、この槻川流域には殆ど存在していない。
因みに、この槻川流域4町村の平成29年1月1日現在の総人口は約6万4千人(東秩父村2,933人、小川町31,199人、ときがわ町11,640人、嵐山町18,036人)であり、併せて就労者をみると農林業者や個人商店などの自営業者、地方公務員もいるが、多くは東松山市や川越市あるいは都内まで通勤しているサラリーマンである。また、平地は僅かであるため農家であっても稲作、畑作の専業農家は皆無で個人商店、林業、園芸、酪農、務め人等の兼業農家となっている。
~ つづく ~