・・・槻川流域の産業・・・

 槻川流域における代表的な産業に「手すき和紙」、「清酒醸造」と「生糸産業」を挙げることができる。

 槻川を語る時に忘れてならない一つは「手すき和紙」である。清流を利用して古くから東秩父村と小川町では和紙の生産が盛んに行われてきた。和紙の元となるコウゾを清流でさらし、その後に水槽で「紙すき」を手作業で行い和紙を作っている。家族経営の小規模なところが殆どであったので同業者で「和紙協同組合」を組織していた。昭和初期の最盛期における東秩父村で和紙生産に関わる家は80軒にのぼったというが、近年「手すき和紙」に従事する家は姿を消してしまった。

 しかし、東秩父村と小川町における、この伝統的な和紙生産技法と品質の良さが再評価され、平成26年11月に「細川紙」として「石州半紙」、「本美濃紙」と共に、ユネスコの「無形文化遺産」に登録された。現在、その技術を伝承する場として東秩父村に「和紙の里 和紙すきセンター」が、小川町に「埼玉伝統工芸会館 和紙展示館」が設けられ「手すき和紙」を伝承する場所となり、併せて一般公開され観光客を楽しませている。

 また、槻川の清流に関係する産業として日本酒の醸造がある。堂平山や笠山等の外秩父山系に降った雨水は槻川となって流れ下るほか、地下水となり小川盆地で井戸水として汲み上げられ醸造に使われている。現在、小川町で美味しい日本酒を醸造している蔵元に「松岡醸造(帝松)」、「青雲酒造」、「武蔵鶴酒造」の三蔵元がある(今は廃業したが「力石酒造」もあった)。この三事業所は、醸造のほか観光用として休日にシャトルバスを運行していて、観光客に酒造場見学と愛飲家に試飲・即売も実施して好評を博している。

 このほかに槻川流域の4町村の農家のなかには大正期から養蚕が盛んに行われていた。稲作が出来ない山間部や丘陵地の農家では桑畑を整備し大きな納屋を活用して「春繭」、「初秋繭」それに「晩秋繭」を飼育していた。私の生家でも年3回の養蚕を家族総出で行っていた。山間部において数少ない現金収入の一つであったのである。

 生家のような規模の小さい小規模養蚕農家では繭を最寄りの「農業協同組合」へ出荷していた。4町村の農業協同組合は、収集した繭を「小川町中央協同組合」へ集め全国の生糸織物業者へ販売するシステムを採っていたのである。その中心地であった小川町は、4町村の小規模養蚕農家と農業協同組合を束ねる「生糸産業」の集積地として、また織物業者への販売出荷地として昭和40年代初まで大いに栄えていたのである。 

~ つづく ~

投稿者 akari