昭和の初めには、今の展望台が設けられている場所当たりに割烹旅館「松月楼」が有って、東京方面から景勝地に大勢の観光客が訪れたようだ。昭和14年には現代短歌の代表歌人である与謝野晶子が娘の藤子と松月楼に泊り、渓谷の自然などをモチーフに「比企の渓」29首を詠んでいる。その中の「槻の川 赤柄の傘を さす松の 立ち並びたる 山のしののめ」は細原の手前に歌碑が建立されている。

ここは、四季折々の樹木の色彩や渓谷美に加え、細原手前左の場所に大きな池があり赤や白のコイが泳いでいた。これも旺時は観光スポットの一部であったが、今は跡形も無く背丈ほどのモミジやカエデ、赤松の幼木が植栽された緑地となっている。
たいへん賑わった松月楼も昭和30年代初に「一平荘」に代替わりしたが、その一平荘も滑川町に国営「武蔵丘陵森林公園」が開園されると、嵐山渓谷を訪れる観光客が激減し一平荘も閉店を余儀なくされた。
静寂を取り戻した現在の嵐山渓谷、とりわけ半島部先端の細原は草原となっていて冬場は日光浴を楽しむのに良い。昭和30年代頃まで、この細原から見る槻川の流れは、右方面では向こうへ、左方面では手前へと流れを一望できたが、今は木立に覆われ眺めることはできない。細原の草原から槻川を挟んで目の前に正山(ショウヤマ)という山が穏やかに佇んでいる。正山は、春夏秋冬いつでも静かに温かく迎えてくれる不思議な山だ。とくに春先はミツバツツジや花桃のピンクや白、山桜の花達が微笑んでいる。細原の草原を下ると槻川の清流に出会う。

~ つづく ~